昨晩,日記を書いた後に時間が少しあったので見残していた,netflix オリジナルのチェスドラマの最終回を見終えた.頭が壊れた天才の話は見ていて怖いところもあるが,先日の日記にも書いたが,登場人物たちがみんなカッコ良くて見ていられる. シンプルにその知的競技に魅了された人たちは敵味方関係なく尊敬しあっている姿は良い.現実はドラマほど綺麗なまとまりはないと思うが,研究や開発分野では割とそれに近いものがあると思いたい.

朝は久しぶりにいつもの道を散歩した.足はまだ痛いが天気が良いので外に出ないのはもったいない.雨が降らないのは何か影響がないのか少し不安になったりもするが,これだけ天気が良いのは暗いニュースが多い中ではとても良いことである.

最近,家の近くの散歩に飽きたという人の話を間接的にではあるが聞いた.2年ほど都内のあるエリアにある家に住んでいるとのこと.都内なので狭いエリアの中でもたくさんの道や景色があるはずなのに飽きてしまったのは残念である. たくさん住むところはあるはずなので引越ししてまた新しい場所を飽きるまで探索すれば良いのだが,少し散歩のジャンルについて考えてみた. さっと思いつくる分類としては,1. 探索型 と 2. 瞑想型 があると思う.1. 探索型 の散歩とは散歩コースまたはその周辺の情報を収集したり,発見を行うことを念頭においたもの.散歩しながら周りの環境のことを観察することが目的なので,新しい土地に引っ越した時や旅行中にこの散歩をすることが多いと思う.もう片方の 2. 瞑想型 の散歩は目を瞑って宇宙に想いを馳せながら歩き回るということではなく,もっと単純で,周囲の環境情報を取り込むことをせずに,「その他のこと」に意識を向けながら歩く,という意である.「その他のこと」とはいろいろあると思うのだが,音楽やラジオを聞いたり,考え事をしたりが考えられる. このような分類を定義すると,前述の家の周辺の散歩に飽きてしまった人は 「探索型」 の散歩をするタイプであったのだろう.これだと移住直後は新しい情報が多くてワクワクする散歩を楽しむことができるのだが,徒歩圏内の道を制覇してしまってからは大きく工事等が行われて景観が変わらない限りこの散歩方式では退屈になってしまうだろう. 逆に「瞑想型」では,環境に注意を払っていないので,どの道を歩いているかは関係ないので,その道をたくさん歩いたからといって飽きるものではない. 自分はこの半年以上ほとんど毎日同じ道を朝歩いているのだが (往復同じ道),たまに季節が変わって畑の様子が変化した時にしか周囲には注意を向けず,podcast を聞きながら (または無音で) 考え事をしているので,いまのところ全く飽きる気配浜井.むしろ逆である.その道を歩くのにどんどん慣れてきているので,散歩に集中せずに考え事により深く集中することができるようになっている気がする.

夜は昨晩のチゲを少し水増ししたのと,卵と豚バラの中華炒めを食べた.

今日は少し夜のスタートが遅かったので就寝時間 10 pm までの時間が短かった.